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『突然ノックの音が』

国内で最初に出版された記念すべき短編集

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 数十カ国で翻訳が出ていて、世界的に著名な作家であったエトガル・ケレットの作品が、国内でようやく書籍として出版されたのは2015年のことだった。母袋夏生さんの訳で、新潮クレストブックスの一冊として出版された『突然ノックの音が』である。原書は当時ケレットの最新作であった。

 英訳版は作家でケレットの友人のネイサン・イングランダーも参加しており、ケレットは「ネイサンはぼくの作品をupgradeしてくれるよ」と語っている。

 日本版はヘブライ語原典や英訳版には入っていない作品も収録されている。

 ケレット独特の笑いと深さを味わえる、特徴的な作品のショーケースのようなコレクションで、たとえばたった2ページで終わってしまう短さの中で、「痔に耐える男」という普通の視点と、それをひっくり返して「男に耐える痔」を描いてみせる「痔」や、物語の中にすでにいくつかの物語のネタが詰まっている「創作」、墜落間際の飛行機に天使が現れて最後の願いを叶えてくれるのに全く天使らしくない「グァヴァ」など、印象的な作品が多いのだが、個人的にはなんと言っても「嘘の国」が好きである。この話を最初に英訳で読んだ時、この人は天才か!と思った。初めて嘘の国に行ったロビーが赤毛の男の子に向こうずねを蹴られて「お前一体誰だよ?」と尋ねると、男の子はこう言う。「俺はあんたの最初の嘘だよ」。この部分まで読んだだけで大興奮したのを覚えている。

 嘘とはそもそも存在しないから嘘なのだが、この話は嘘だけが存在する世界を描く。交通事故にあった犬を病院に連れて行ったのだとロビーが嘘をついてしまったがために「嘘の国」には足を引きずった犬がいる。しかもロビーの匂いを嗅ぎつけて興奮して飼い主の爺さんを連れてやってくる。けなげ。

 小説とは英語でfiction、もちろんfactと対置されるところにある「嘘」である。並みの作家は、たとえばリアリズムという手法で「嘘」を嘘じゃないように見せかける。「ないもの」を「ある」かのように見せかける。しかしケレットは「嘘」で「嘘」の世界を描いた。「ないもの」が「ある」世界を「あるかのように」描いた。これはただならぬ想像力である。

 小説を読んでいると、「自分が作家だとしたら、こんな作品が書けたら死んでもいいな」と思えるような作品に出会うことがある。「嘘の国」は私にとって、そういう作品の一つである。

 ケレット作品はその短かさゆえか、翻案されて短編映画になっているものが多いが、この作品もその一つ。

映像化といえば「ポケットには何がある?」も映画化されている。

こちらは2013年の作品だが、監督はゴラン・ドゥキック。2007年に『リストカッターズ』を撮った監督である。小説原作は語り手のオタクっぽさが前面に出ているが、こちらはポップでカラフル、清潔感がある。

 ちなみにこの原作は村上春樹の初期短編「4月の晴れた朝100パーセントの女の子に出会うことについて」に着想を得たのだと、2018年にエトガル・ケレット自身は語っている。2014年ごろに、ケレットと初めてメールのやり取りをした際に、私は「映画版は小説版と印象が違って、村上のこの短編に似てると思った」と伝えている。本当に村上から着想を得たのか、あとでそういう気になったのか、真偽のほどはわからない。『エトガル・ケレット ホントの話』を観た方ならご理解いただけるであろう。

 新潮社 2015年